大判例

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東京高等裁判所 平成10年(ネ)1785号 判決

控訴人・被控訴人(原告)

甲野一郎(以下「一審原告一郎」という。)

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

大森秀昭

勝部浜子

井上聡

山内一浩

金澄道子

控訴人・被控訴人(被告)

株式会社システムコンサルタント

(以下「一審被告」という。)

右代表者代表取締役

後田勝彦

右訴訟代理人弁護士

植松守雄

曲寿郎

松崎勝

上野隆司

髙山満

廣渡鉄

浅野謙一

主文

一  一審被告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  一審被告は、一審原告夏子に対し、二一五八万〇八四六円及びこれに対する平成三年三月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  一審被告は、一審原告一郎及び一審原告春子に対し、それぞれ五三九万五二一二円並びにこれらに対する平成三年三月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

3  一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

4  右1、2は仮に執行することができる。

二  一審原告らの控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、一、二審を通じてこれを三分し、その二を一審原告らの負担とし、その余を一審被告の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  一審原告ら

1  原判決を次のとおり変更する。

2  一審被告は、一審原告夏子に対し、六〇〇三万七六一六円、一審原告春子及び一審原告一郎に対し、各一五〇〇万九三五四円及びこれに対する平成三年三月一二日から支払済みまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

二  一審被告

1  原判決中の一審被告敗訴部分を取り消す。

2  一審原告らの請求をいずれも棄却する。

第二  事案の概要

本件は、一審被告の従業員としてコンピューターソフトウェア開発業務に従事していた亡甲野太郎(以下「太郎」という。)の相続人である一審原告らが、一審被告に対し、太郎が脳幹部出血により死亡したのは、一審被告において過重な業務に従事したことが原因の過労死であり、一審被告には安全配慮義務を尽くさなかった債務不履行がある旨主張し、第一、一の2のとおり逸失利益、慰謝料等の損害賠償(ただし、遅延損害金の起算日は、訴状送達による催告の日の翌日である。)を求めた事案である。

一  争いのない事実等(当事者間に争いのない事実は証拠を掲記しない。)

1  当事者

(一) 一審原告夏子は、平成二年一月六日、太郎と婚姻し、太郎の死亡時に同人の妻であった者であり、一審原告一郎は太郎の父、一審原告春子は太郎の母である。

(二) 一審被告は、コンピューターソフトウェア開発等を目的とする株式会社である。

2  太郎の経歴等

太郎は、昭和三一年一一月一日生まれの男性であり、昭和五四年に日本大学文理学部応用数学科を卒業した後、一審被告に入社した。太郎は、入社後、第三FM部(その後のシステム第三部)に配属され、その後はコンピューター・システム・エンジニア(以下「SE」という。)として、専らコンピューターのシステム開発の業務に従事し、昭和五八年五月にはチーフに昇格し、昭和六一年からは東京商工リサーチのプロジェクトのプロジェクト・サブリーダーを務めた。

3  日債銀プロジェクト

(一) 一審被告は、平成元年一月一七日、株式会社日本債券信用銀行(以下「日債銀」という。)の子会社である日債銀総合システム株式会社(以下「NCS」という。)との間で、ソフトウェア開発委託契約を締結した(以下「本件プロジェクト」という。契約締結日につき乙三の1)。

一審被告は、一審被告従業員らの他に、株式会社システム経理研究所(以下「システム経理」という。)、株式会社チャネル(以下「チャネル」という。)及び株式会社大分電子計算センター(以下「大分電算」という。)等の下請会社(一審被告は下請会社のことを「協力会社」と称しており、以下では「協力会社」ということがある。)の従業員らと共にプロジェクトチームを編成して、本件プロジェクトに対応した(協力会社の詳細につき甲五一の1ないし5、乙二二)。

(二) 平成元年一月当初、本件プロジェクトのリーダーは一審被告の従業員である永井信太郎(以下「永井」という。)であったが、太郎は、同年三月ころに業務サポートとして本件プロジェクトに参加した後、同年五月に永井と交代して同プロジェクトのプロジェクトリーダーとなった(太郎の業務サポート開始時期について甲九、三五の1)。

プロジェクトリーダーとは、プロジェクトマネージャーのもと、プロジェクトの進捗管理、要員管理、品質管理及び発注元及び協力会社との連絡調整に当たる役職であり、原則として、自ら設計等の作業をすることが予定されているわけではなかった(乙二四、弁論の全趣旨)。

(三) 本件プロジェクトについては、平成元年一一月一三日からシステムテストが開始され、太郎らは、システムテストサポート業務を行い、発生するトラブルに対応した。本件プロジェクトは、平成二年五月七日、本稼働に至ったが、その後も太郎らは、システムテストサポート業務を行っていた。

4  太郎の死亡

太郎は、平成二年五月二〇日午後、自宅において倒れ、直ちに病院に救急搬送されたが、午後九時二六分、聖マリアンナ医科大学病院において、脳幹部出血(以下、単に「脳出血」ということがある。)により死亡した(当時三三歳)。

二  主たる争点

1  太郎の労働の過重性

(一) 一審原告らの主張

(1) 太郎の労働時間

① 年間労働時間の推移

太郎は、一審被告入社直後から、恒常的に長時間にわたる残業を行っており、昭和五五年から平成二年までの太郎の労働時間の推移は、以下のとおりである。なお、太郎は、一審被告の任命したプロジェクト・マネージャー等の具体的指示監督のもとでプロジェクト・チームの開発業務を遂行していたものであり、いわゆる裁量労働に従事していたものではない。

総労働時間  所定外労働時間

昭和五五年 3272.5時間 1072.5時間

昭和五六年 2862.5時間 662.5時間

昭和五七年 3389.5時間 1189.5時間

昭和五八年 2960.0時間 760.0時間

昭和五九年 2903.5時間 703.5時間

昭和六〇年 3195.0時間 995.0時間

昭和六一年 2776.5時間 760.5時間

昭和六二年 3578.0時間 1562.0時間

昭和六三年 2887.5時間 871.5時間

平成元年 2778.0時間 762.0時間

平成二年(五月一九日まで)

1187.5時間 459.5時間

(年間ベース)

3222.6時間 1206.6時間

ただし、所定外労働時間は、総労働時間から所定内労働時間を控除した時間であり、昭和五五年から同六〇年については、所定内労働時間二二〇〇時間(年間の休日を九〇日、一日の労働時間を八時間として計算)として、同六一年以降については所定内労働時間二〇一六時間(一審被告の就業規則に基づき年間の休日を一一三日、一日の労働時間を八時間として計算)として計算した。なお、一審被告は、太郎の労働時間を検討する場合には、総労働時間から法定労働時間(太郎死亡当時で一週四八時間)を控除した時間を基準として検討するべきである旨主張するが、法定労働時間は、労働者の生命と人間らしい生活を保障するための最低基準として定められたものであり、刑罰によってその違反を規制しているのであって、その趣旨からすれば、法定労働時間を超える労働は例外的なものでなければならず、法定労働時間を超えたこと自体が既に大きな問題である。

② 死亡前一年間の労働時間

太郎の平成元年五月から死亡までの労働時間は、以下のとおりであり、所定労働時間は一九五二時間であるのに対し、所定外労働時間は一〇〇四時間三〇分で、合計二九五六時間である。なお、この時間数は、三〇分に満たない端数や休憩時間を除いた数字であり、実際の拘束時間は三四八七時間一七分に及んでいた。太郎の所定外労働時間は、全国七八九八事業場について調査された事務管理等の各部門ごとに所定外労働時間が最も長い者各二名の所定外残業時間と比較しても、その中の非常な長時間の部類に属するものであって、全体の労働者から見れば、非常な長時間労働に従事していたことが明らかである。

所定労働時間  所定外労働時間

平成元年五月 64.0時間 33.0時間

六月 176.0時間 67.5時間

七月 168.0時間 69.5時間

八月 176.0時間 78.0時間

九月 168.0時間 104.0時間

一〇月 168.0時間 84.0時間

一一月 160.0時間 91.0時間

一二月 128.0時間 32.5時間

平成二年一月 160.0時間 64.5時間

二月 152.0時間 61.0時間

三月 168.0時間 135.0時間

四月 168.0時間 115.0時間

五月 96.0時間 69.5時間

総計   1952.0時間 1004.5時間

ただし、平成元年五月は二〇日から三一日まで、平成二年五月は一日から一九日まで、その他は、各月の一日から末日までとした。

③ 死亡前三か月の労働時間

平成二年二月二〇日から同年五月一九日にかけては、所定労働時間が四八八時間であるのに対し所定外労働時間が三四〇時間三〇分の合計八二八時間三〇分であり、急激に所定外労働時間が増加している。特に、システムテストが本格的に始まった平成二年一月以降は深夜勤務の増加が顕著であり、また、休日出勤も増加している。

④ 死亡前一か月の労働時間

平成二年四月二〇日から同年五月一九日にかけては、所定労働時間が一五二時間であるのに対し所定外労働時間は九九時間三〇分の合計二五一時間三〇分である。また、休日出勤が行われた結果、同年四月九日から同月二〇日までは一二日間連続、同月二二日から同月二九日までは八日間連続、五月一三日から死亡前日の同月一九日までは七日間連続の勤務であった。

(2) 太郎の労働内容

① 本件プロジェクトは、大規模かつ高度な内容のものであり、さらには銀行のオンラインシステムに関するプロジェクトであるため、本稼働後にシステムダウン等を起こすと社会的な影響が大きく、発注元であるNCSやユーザーである日債銀から信頼性の高い品質であることを求められ、納期前のテストの要求水準も必然的に厳しくなり、納期遵守の要請も厳しかった。

しかも、納期の設定は当初から無理があることが明白で、数回にわたるスケジュール変更にもかかわらず常時スケジュールは遅延しており、無理なスケジュール設定、度重なる仕様変更と技術力のある人員の不足により、結合テストが終了しないままシステムテストに入ったため、トラブルが頻発し、太郎は、最終的に責任を負うプロジェクトリーダーとして、スケジュールの調整に追われ、頻繁な発注元からのクレームに対処しなければならず、その間、発注元から厳しく叱責されるなどしており、相当の心労があった。

② 平成二年五月七日に本件プロジェクトが本稼働に入ってからも、トラブルは頻発し、一方で本稼働中であるためにトラブルを時間内に解決できなければユーザーである日債銀の信用問題にもなるため、日債銀及びNCSからの要求はさらに厳しくなり、日々、納期が設定されるような状態に至った。また、本件プロジェクトにおいては、本稼働後も度々仕様変更が行われ、太郎らの作業を増加させた。

特に、同月一八日に発見されたトラブルは極めて深刻なものであったため、太郎は、休日(土曜日)を返上して同月一九日午前八時五四分に一審被告の事務所に出勤した上、作業現場に赴いたところ、ユーザーから二一日の営業日(月曜日)に間に合うよう問題を解決するように厳命され、追いつめられた状況の中で長時間にわたり作業を行って、同日午後八時ないし九時ころようやくトラブルの原因が判明したので、同日午後一〇時ころ作業現場から退社して帰宅し、その翌日である同月二〇日に脳出血を発症した。

(二) 一審被告の主張

(1) 太郎の労働時間について

① 太郎は、平成元年五月、本件プロジェクトのプロジェクトリーダーとなったが、同年の年間総労働時間は二七七八時間であり、入社以来二番目に短い。死亡直前一週間の法定外労働時間は一六時間に過ぎない。なお、労働時間の長短を論ずる場合には法定労働時間を基準とすべきところ、平成元年当時の法定労働時間は週四八時間であり、同年五月二〇日から太郎が死亡した前日である平成二年五月一九日までにおける一年間の法定外労働時間(449.7時間)は年間法定労働時間(2502.3時間)の一八パーセントに過ぎず、死亡直前一週間の太郎の法定外労働時間は一六時間に過ぎなかった。

② 太郎の業務内容は、システムエンジニアであるが、その労働は、労働基準法上のいわゆる裁量労働であり、一審被告が太郎に対し残業を強制したことはない。

また、一般に直接プロジェクト開発に当たるSEの労働時間の方がプロジェクトリーダーより長くなるのが通常であるが、太郎の労働時間は他のSEらに比較して突出して多く、太郎は、労働時間(残業時間)を調整していたのではないかと疑わざるを得ないのであり、労働時間の長さだけから太郎の労働が過重であったということはできない。

(2) 太郎の労働内容について

① 本件プロジェクトは、無理なスケジュールではなく、納期も目標ないし予定とされ協議で調整できるとされていたのであって、厳しい納期が設定されていたということもない。

また、一審被告は、プロジェクトの進捗に応じて、必要な技術力のある要員を配置しており、人数や技術力の不足により遅延が生じたということはない。

スケジュールが遅れたり、システムテスト段階でトラブルが発生するのは、本件のようなプロジェクトでは日常的なことであり、本件プロジェクトは、むしろ比較的順調に進行したものであるから、太郎に対し、特段の精神的負担がかかっていたとはいえない。

② 本件プロジェクトの開発業務は、平成元年一一月末に終了し、その後太郎らが行ったのは、NCSの行うシステムテストのサポート業務に過ぎなかった。そして、この時期にトラブルが発生するのは通常の事であり、本件プロジェクトにおいてトラブルの発生が異常に多いということはなかった。

平成二年五月七日のプロジェクト本稼働後は、前月に比較してトラブルの発生が激変していた上、太郎の業務は、トラブルが発生した場合の技術支援業務に過ぎず、実際にトラブルに対応する者は緊急対応者(TRマスターファイルについては宇尾野麻純)であった。

また、太郎は、土曜出勤が多く、平成二年五月一九日もトラブル発生の電話で出勤したわけではない。同日に対応したトラブルは、通常のトラブルと比較して特に深刻なものであったということはなく、緊急に補修を要するものでもなかった。また、右トラブルは、太郎の担当分野で生じたものではなく、他の者の担当分野で生じたものであり、しかも発注元のSEのサポートをしたに過ぎないから、太郎に精神的負担がかかることはない。太郎は、同日のトラブルの対応が終了し帰宅する際には、全く体の不調を訴える様子はなかった。

2  業務と死亡との因果関係

(一) 一審原告らの主張

(1) 高血圧による脳幹部出血の発生

脳出血の中で最も頻度が高いのは、高血圧性脳出血である。これは、高血圧によって、血管の透過性が亢進し、動脈壁内に血漿が浸潤することによって、穿通動脈の末梢部等の血管壊死が徐々に進行し、壊死した小動脈は小動脈瘤となり、ついには破綻して脳出血に至る病気である。また、臨床上の統計数値によっても、高血圧が脳出血の危険因子であることは明らかである。太郎は、この高血圧性脳出血により死亡したものである。

(2) ストレスの持続と高血圧の関係

高血圧には、精密検査によっても原因の不明な本態性高血圧と、原因の捉えられる二次性高血圧があり、その中でも二次性高血圧はその原因ごとに、腎性高血圧、内分泌性高血圧、血管性高血圧等に分類される。

ところで、太郎には、二次性高血圧の病的原因の症状は全く現われていないから、同人の高血圧は二次性高血圧ではなく本態性高血圧であるというべきである。一審被告は、太郎について、①二次性高血圧のうち腎動脈線維筋性異形成を原因疾患とする腎血管性高血圧症、②原発性アルドステロン症を原因疾患とする副腎性高血圧症の可能性を否定できない旨主張するが、①の高血圧症の全高血圧症に占める割合は0.226パーセントに過ぎず、その約八割が女性であるから、その数値からして太郎が①の高血圧症であった可能性は極めて低く、また、太郎について、腎血管性高血圧症の身体所見として見られる腹部血管雑音、高度の高血圧性眼低病変、他の動脈閉塞病変の存在がないことを考慮すると、太郎が腎動脈性線維筋性異形成を原因疾患とする腎血管性高血圧症に罹患していた可能性は否定され、また、②についても、この場合の血圧上昇が緩やかであるのに対し太郎の血圧上昇の程度が高度である上、太郎には頭痛、筋力低下、周期性四肢麻痺等の原発性アルドステロン症に見られる症状が見られないこと、原発性アルドステロン症を原因疾患とする高血圧症患者は全高血圧症患者の0.3パーセント程度であり、しかも三〇歳台から五〇歳台の女性に多いことを考慮すると、太郎が原発性アルドステロン症を原因疾患とする副腎性高血圧症に罹患していた可能性も否定される。

また、太郎の家族には、高血圧、循環器系疾患及び脳疾患に罹患した者はほとんどおらず、遺伝的な要因も否定される。更に、その発症及び増悪が急激であること、太郎の年齢が死亡時で三三歳と若いことからすると、太郎の血圧上昇は、加齢によるものではありえない。

太郎の短期間における急激な高血圧の発症及び増悪は、一審被告入社以来の質量ともに過重な業務による精神的肉体的ストレスに起因するものというべきである。急激なストレスが一時的な血圧の上昇をもたらすことは周知の事実であるが、持続的なストレスが高血圧という疾患を発症増悪させること、ストレスが正常者に比較して高血圧症等の疾患を有する者に対してより大きく作用することは医学的に裏付けられており、このことは、管理職、医師、航空管制官などの精神的ストレスの多い職業の労働者は、下働きの労働者と比較して高血圧の発症率が高いという疫学的調査の結果が報告されていることからも明らかである。

(3) 太郎の高血圧症に及ぼしたアルコールの影響について

太郎は、週に一、二回、夕食時にビール一本を母親と分けて飲む程度であり、酒好きで大量に飲酒するというようなことはなかった。太郎の右程度の飲酒量、飲酒頻度は、血圧を上昇させるというよりはむしろ血圧を下げるものである。

(4) 太郎の死亡直前の業務

太郎は、死亡前日である平成二年五月一九日、発注元のNCSから速やかにトラブルの原因を解明し、対策を講じるように厳命を受け、NCS立会いのもとで長時間の労働に従事していたのであるから、その精神的緊張及び肉体的疲労は計り知れないほど強度なものであり、このストレスが太郎の血圧を急激に上昇させ、脳出血発症に至らせた。

労働省基準局長通達昭和六二年基発第六二〇号を一部改正した平成七年基発第三八号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く)の認定基準について」によって定める業務起因性の認定基準は、いわゆる相対的有力原因説に基づくものであり、認定基準が曖昧である上、労働基準法、労災保険法等の規定と矛盾し、しかも、日常業務自体が過重な結果死亡した場合には業務起因性を否定されるなど不当であり、採用すべきでない。

一審原告らは、平成七年五月二日付で、新宿労働基準監督署長に対し労働者災害補償保険にかかる遺族補償支給申請をしたが、棄却され、東京労働者災害補償保険審査官に対し請求していた労災保険給付請求にかかる審査請求も棄却された。しかし、労働基準監督署段階における脳血管疾患及び虚血性心疾患で業務起因性を認定された件数は極めて低くその認定基準及び運用は不当であると批判されており、行政訴訟により最終的に右結論が取り消されている例が多く、労働基準監督署等の判断をもって太郎死亡の業務起因性を否定することはできない。

(二) 一審被告の主張

(1) 既往疾病の存在

高血圧には、本態性高血圧と二次性高血圧があるところ、太郎は精密検査を受けていないため、同人の高血圧がどちらの種類に属するのかを断定することはできないし、勿論本態性高血圧症であるとは断定できない。のみならず、太郎の高血圧症は、二次性高血圧症である確率、蓋然性が非常に高いと考えられる。すなわち、若年者については二次性高血圧の頻度が高く全体の四分の三を占めるところ、太郎は、二〇台前半から高血圧であり、昭和五八年(二六歳)ころから短期間に急激に血圧が上昇していること、遺伝的素因がはっきりしないこと、尿蛋白が検出されていないことからすれば、腎動脈線維筋性異形成を原因疾患とする二次性高血圧である確率が高く、また、可能性は低いものの原発性アルドステロン症を原因疾患とする副腎性高血圧症の可能性も否定できない。

また、太郎は、一審被告に入社した直後である昭和五四年の健康診断の際に、既に高血圧であったことからしても、同人の高血圧の原因が一審被告における業務以外の疾病であることは明らかである。

太郎の死因が小動脈瘤破裂による脳出血であるとすれば、同人には二次性高血圧及び小動脈瘤という基礎疾患が存在したというべきであり、右疾患の自然増悪により死亡したものであって、業務とは因果関係がない。

(2) ストレスの持続と高血圧の関係

急激な肉体的、精神的ストレスが一次的な血圧上昇をもたらすことは知られているが、持続的なストレスが本態性高血圧の原因になるかどうかは明らかでなく、医学的な定説は未だ存在しない。また、持続的ストレスが持続性高血庄症発症の原因となる旨の疫学的データが存在することは事実であるが、そのデータに示されたケースはいずれも一桁台単位による血圧値の上昇に過ぎず、太郎のような一〇年足らずの間に三〇mm/Hg程度も上昇しているケースには当てはまらない、以上のとおり、太郎が業務により持続的ストレスを受け、これにより高血圧になり、ひいては脳出血によって死亡したとは認められない。

(3) 太郎の高血圧症に及ぼしたアルコールの影響について

過度の飲酒が高血圧症の危険因子であることは医学上の定説であり、また、飲酒習慣を有する高血圧症者ではアルコールによる出血傾向が加わることによって脳出血のリスクが大幅に増強されるところ、太郎は、酒が好きでしばしば飲酒しており、大量に飲酒するときは一回にボトル半分位を飲んでいたものであり、これが太郎の高血圧症と深く関連している。

(4) 太郎の死亡直前の業務

① 脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性の認定基準について、労働省労働基準局長通達昭和六二年基発第六二〇号を一部改正した平成七年基発第三八号は、労働基準法施行規則別表第一の二第九号の疾病の認定要件として、

「(1) 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。

イ 発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと。

ロ 日常業務に比較して特に過重な業務に就労したこと。

(2) 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること。」

と定め、右(2)の要件については、まず、発症直前から前日までの間の業務について判断すること、次に、発症直前から前日までの業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間以内に過重な業務が継続したか否かを判断すること、最後に発症前一週間以内の業務が日常業務を相当程度超える場合には、発症前一週間より前の業務を含めて総合的に判断することなどとしている。

② 太郎の発症は、平成二年五月二〇日であるが、同日は休暇を取っており、その前日である同月一九日の業務内容についても、同日に対応したトラブルは、太郎の担当分野で生じたものではなく、また、通常のトラブルに比較して特段深刻なものともいえず、太郎は、通常どおりのシステムサポート業務を行っていたに過ぎない。また、発症前一週間の業務内容も、平成二年五月七日以降は本件システムの運用はNCS側に移っていたことに照らしても、通常より過重な業務であったとはいえない。

したがって、右通達に照らしても、太郎の死亡の業務起因性は認められない。一審原告らは、平成七年五月二日付で新宿労働基準監督署に対し、労働者災害補償保険にかかる遺族補償支給申請をしたが、「業務に起因することが明らかな疾病とは認められない。」との理由で「全部不支給」との決定を受け、更に、一審原告らが東京労働基準局に請求していた労災保険給付請求にかかわる審査請求についても「業務起因性がない」との理由で棄却された。このことからも、太郎の死亡について業務起因性が認められないことは明らかである。

3  安全配慮義務違反の有無

(一) 一審原告らの主張

使用者は、労働者を雇用して自らの管理下に置き、その労働力を利用して企業活動を行っているものであるから、信義則上、労働者の労働内容並びに健康状態を把握し、その過程において労働者の生命・健康が損われないよう安全を確保するための措置を講じるべき安全配慮義務を負っている。なお、労働安全衛生法は、使用従属関係に基づき、事業者にその使用する労働者の安全と健康を確保すべき公法上の義務を負わせ、労働者の安全と健康を保持すべき本来的責任が使用者にある旨定めているが、右義務は、労働者の安全と健康を確保するための最低の義務であり、これを果たしたからといってそれのみで安全配慮義務が尽くされたことにはならない。一審被告は、労働者の自己責任の原則なるものを主張するが、これは、右に述べた労働安全衛生法の趣旨に真っ向から反するものである。

(1) 過重業務をさせない義務の違反太郎は、前記主張のとおり、昭和六一年以降、収縮期血圧が一七〇以上、拡張期血圧が一二〇以上の高血圧で、要医療の状態にあった。そして、高血圧症の患者は、規則正しい生活を行い、睡眠や休養を十分に取り、精神的興奮やストレスを避けなければならないのであるから、一審被告は、太郎に対し、申出の有無に関係なく、①労働時間を所定内に抑え、②休日労働、深夜労働をさせず、③配置転換を含めた業務内容の削減及び変更を行って精神的負担を除去し、④適切な人員配置や納期調整を行って太郎が過労状態に陥ることを避け、過労状態にある時には直ちに医師の診察を受けられるようにするなどの措置を採り、太郎の健康状態悪化を防止すべき安全配慮義務を負っていた。

しかるに、一審被告は、太郎が高血圧であること及び長時間労働を行っていることを知りながら、太郎を極めて高度な精神的負荷が連続して発生する前記主張のとおりの業務に従事させ、長時間の深夜業務を含む健康に有害な長時間労働を行わせ、配置転換等の業務軽減措置を講じなかった。

また、一審被告は、本件プロジェクトにおいては、プロジェクトの内容及び納期に照らし、当初から必要な能力ある人員が不足していたことは明らかであるにもかかわらず、適切な増員措置を講じなかったどころか、逆に人員を削減するなどして、プロジェクトリーダーである太郎の負担を増やし、太郎の疲労、ストレスを蓄積させて高血圧を増悪させ、脳幹部出血を発症させて死に至らしめた。

したがって、一審被告には安全配慮義務違反があるというべきである。

(2) 健康診断を受診させる義務の違反

労働安全衛生規則四四条は、使用者に対し、常時使用する労働者について一年以内ごとに一回、医師による健康診断を行うことを義務づけている。

一審被告は、太郎に対し、健康診断受診の機会を与えるのみならず、実際に受診できるように時間的余裕を与え、その受診の有無を確認し、受診していない場合には受診するように指導する義務を負っていた。殊に、三六協定によって、月一二〇時間もの所定外労働を行うことを予定していた一審被告は、従業員が長時間労働により健康を害する危険を十分予測できたのであるから、過密な労働に従事する従業員が実際に健康診断を受診できるようにスケジュールを調整し、健康診断受診のための徹底的な指導を行うべき義務があった。

しかるに、一審被告は、厳密には一年以内ごとに一回の一般定期健康診断を行うとの義務を果たさず、診断項目についても、労働安全衛生規則四四条一項に規定する「業務歴の調査」をしないなど問題があるばかりか、太郎が、高血圧で精密検査が必要な状態であったにもかかわらず、昭和六二年、同六三年及び平成二年(一月一五日までに行われるべきであった)の健康診断を受診しないのに、全く精密検査を受けるよう指示をしないなど、右健康診断を受診させる義務を怠った。

(3) 健康状態把握義務の違反

健康診断は、情報入手の一手段に過ぎないのであるから、使用者は、単に健康診断を行うだけではなく、その結果精密検査の必要な者には精密検査を行い、健康状態を詳しく把握し、就労制限が必要な健康状態であるか否かを判断すべき義務がある。

労働安全衛生法は、一審被告と同種及び同規模の使用者に対して、衛生管理者及び産業医の選任、衛生委員会の設置を義務づけ、これらの者に職務を行わせることにより、もって健康管理を実効あらしめようとしている。

しかるに、一審被告は、平成元年九月までは衛生管理者を、平成元年一〇月以降は第二種衛生管理者を二名選任しなければならない(労働安全衛生法一二条、同法施行令四条、同法規則七条)にもかかわらず、これを置いておらず、衛生委員会を設置していない。

また、一審被告は、産業医として、中原健次郎医師を選任しているが、同医師は、労働安全衛生規則一五条に規定されている毎月一回の事業場の巡視を行っておらず、定期健康診断においても業務歴の調査を行わず、定期健康診断結果を記載する所定の個人表の「就業上の注意事項」欄に記載したことがないなど、必要な職務を行っていない。

したがって、一審被告は、太郎の健康状態を把握すべき義務を怠ったというべきである。

(4) 事後措置義務違反

使用者は、健康診断の結果等に基づいて、健康を保持するために必要がある場合には、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の適切な事後措置を講じるべき義務がある。このことは、労働大臣が平成八年一〇月一日付で公表した「健康診断結果に基づき事業者が講ずべき措置に関する指針第一号」(甲一四三)等によっても裏付けられている。そして、前記(1)ないし(3)主張の各義務は、本来、この事後措置を適切に採るための義務である。

太郎は、平成元年二月の時点では、要治療の状態にあり、精神的緊張の強い仕事を禁じ、仕事量も健康人の五ないし七割に留めることが必要な状態であったが、一審被告は、これらの措置を行っておらず、かえって、精神的負担の大きい本件プロジェクトのリーダーに任命し、かつ、一審被告におけるいわゆる三六協定(男性SEについて、残業時間は一日五時間、一か月一二〇時間、三か月一五〇時間)に違反する長時間労働を行わせたものであるから、一審被告は事後措置義務に違反しているというべきである。

(5) 予見可能性について

太郎は、一審被告が実施する定期健康診断を受診しているところ、一審被告は、その結果をすべて把握しており、遅くとも昭和六一年頃には、太郎の最高血圧が一七〇、最低血圧が一二〇を超え、かつ、心拡張の症状も現れており、太郎が要治療の状態にあったことを十分認識し得たものであるから、一審被告は、太郎の死亡について予見が可能であった。

(二) 一審被告の主張

一般論として、使用者が労働契約関係にある労働者の安全と健康につき配慮すべき安全配慮義務を負うことは否定できないが、その義務は、一般的かつ無限定の庇護義務的なものではなく、労働契約履行の場における具体的結果発生阻止義務である。そして、労働者の健康は、労働者本人の健康管理意思、健康管理意識及び健康管理の判断・決定を基本とし、労働者自身が自己の健康状態に注意し、必要に応じて医師の診察治療を受けるなどして管理すべきであり、これらを怠ったことに基づき発生した損害についての法的責任は労働者本人のみが負担すべきものである(自己責任の原則)。

また、使用者が安全配慮義務違反により損害賠償義務を負うためには、使用者の行為に法律上の違法、すなわち労働安全衛生法違反が存在したことが必要であるが、一審被告には、太郎の死亡について労働安全衛生法違反を犯した事実はない。

(1) 過重労働をさせない義務違反について

前記二1(二)主張のとおり、太郎の業務は、過重なものではなかった。

また、太郎の業務はいわゆる裁量労働であり、一審被告の具体的な指揮監督の下に実施される労働ではなく、その労働時間も自らの判断により決せられるものであり、上司の強制により残業が行われることはなかった。したがって、太郎が長時間労働をしているとしても、それは同人が自らの判断で労働時間を調整していたというべきである。

したがって、一審被告が太郎に対し過重労働をさせない義務を怠り、同人に多大にストレス、疲労を蓄積させたとはいえない。

(2) 健康診断を受診させる義務違反について

一審被告は、赤坂診療所に委託して、毎年定期健康診断を行っているところ、その手順は、一審被告担当者が赤坂診療所と相談の上、健康診断の受診期間を定め、「定期健康診断のお知らせ」という文書を掲示して各従業員に通知し、各部ごとに受診時間の調整を行った後、受診スケジュールを決定して赤坂診療所に通知し、各従業員は右スケジュールに従って赤坂診療所に行き受診するというもので、一日に数人のみを対象とする丹念なものであった(なお、受診しなかった従業員については、赤坂診療所と協議して日程外の受診スケジュールを再度作成することとしている。)。

前記のとおり、労働者の健康保持は、使用者の義務でもあるが、何よりもまず労働者自身が自らの健康に注意し、必要があれば医師の診察を受けるなどして健康保持を図るべきである。一審被告は、太郎に対し健康診断を受診する機会を与え、健康診断の結果及び精密検査が必要とされる場合にはその旨を通知している。そもそも一般定期健康診断は、スクリーニングテストというべきものであり、そこで異常が発見された場合には精密検査を受けて詳細なデータを集め、治療や休養の要否が判断されるものである。太郎は、昭和六三年の健康診断を受けず、また、精密検査を受けなかったが、これは太郎の意思によるものであり、一審被告に責任はない。また、一審原告らは、受診の機会を与えるだけではなく受診のための時間的余裕を与え、受診しない場合には受診するように指導すべきであったと主張するが、前記主張のとおりの業務実態に照らせば、太郎が健康診断を受診する時間的余裕すらなかったとは考えられない。

(3) 健康状態把握義務違反について

一審被告は、総務部総務課の労務厚生担当者らを衛生管理者の任に当たらせており、これらの者が衛生管理者の資格試験に合格し次第、衛生委員会を設置する予定であった。労務厚生担当者らは、産業医とも協議の上、労働者の健康の保持増進を図っているから、衛生委員会が設置されていなかったとの一事をもって健康状態把握義務違反があったとはいえない。

(4) 事後措置義務違反について

一般に、境界域を含む高血圧の人は少なくなく、その症状程度も様々であるから、労働者が高血圧であるからといって、労働者の申出の有無に関係なく直ちに配置転換などの業務軽減措置を採ることは、必要以上に高血圧患者から就労の途を奪うことになり、相当ではない。高血圧の人が、医師の精密検査等を受診し、その診断結果を踏まえ、医師の意見も聞いた上で、はじめて配置転換等の業務軽減措置が採られるべきであることは、労働安全衛生規則六一条二項などに照らして明らかであるところ、太郎は、精密検査を受けておらず、また、業務軽減の申出もしていないのであるから、一審被告には未だ配置転換、業務軽減等の事後措置を採るべき義務は生じていない。一般定期健康診断は、スクリーニングテストであり、精密検査をしないで太郎が要治療状態にあると判断することはできないものである。

(5) 予見可能性について

太郎の高血圧には他覚所見がなく、太郎本人や、一審原告ら同居家族も、太郎の健康状況について認識はなかった。また、太郎は、一審被告に対し身体の不調を訴えたことはなく、業務軽減の申出もしていなかったことからすれば、一審被告が太郎の脳出血の発症とこれによる死亡の結果を予見することはできなかったというべきであり、一審被告に安全配慮義務違反はない。

4  損害額

(一) 一審原告らの主張

(1) 逸失利益

四九二〇万〇一一八円

太郎の死亡前一年間の収入は六〇七万六七五二円であり、生活費及び中間利息を控除した逸失利益は、左の計算式により四九二〇万〇一一八円である。

607万6752円×(1−0.5)×16.1929

=4920万0118円

(2) 慰謝料 三〇〇〇万円

太郎は、死亡時三三歳であり、一審原告夏子と結婚した直後に本件事故に遭った点を考慮すると、その慰謝料は三〇〇〇万円を下らない。

(3) 葬儀費用(一審原告らの損害)

二六六万九四六七円

一審原告らは、太郎の葬儀費用として、二六六万九四六七円を支出した。

(4) 弁護士費用

八一八万六九四七円

(5) 相続

一審原告らは、右(1)ないし(3)記載の損害についての損害賠償請求権を、法定相続分に従い、一審原告夏子が三分の二、一審原告一郎及び一審原告春子が各六分の一の割合で、それぞれ相続した。

(6) 過失相殺及び損害のてん補について

① 太郎が、一審被告入社当時において境界域高血圧であったとしても、極めて軽度のものであったから、これが自然に高血圧に移行していく確率は極めて低く、太郎が高血圧症を発症したことと一審被告入社当時に境界域高血圧であったこととは結びつかない。また、太郎の飲酒量、太郎が肥満していなかったこと、太郎が高血圧症に対する生活指導において守るべき事項を遵守していたこと等を考慮すると、太郎に過失は存在しないから、過失相殺をすることは許されない。

② 日本団体生命死亡保険金五〇万円については、損害からてん補すべきではない。

(二) 一審被告の主張

① すべて争う。

② 太郎は、昭和六一年頃には最高血圧が一七〇、最低血圧が一二〇を超え、心拡張の症状が現れていたため、同年以降は健康人より過重な業務を行わせてはならない状態であったというのであるから、長期間の残業をした結果得た年収を基礎にして逸失利益を算定することはできない。

③ 太郎は、入社当時から境界域高血圧であり、このような太郎の基礎的要因がその後の血圧上昇に対し影響を与えていたと解されること、一審被告から、高血圧を理由として複数回に渡り精密検査を勧められながら全く受診せず、医師の治療も受けず、肥満であるにもかかわらず体重を減らそうという努力をせず、しばしば飲酒するなど、健康保持についての自己責任の原則に反する行動をとっていることからすると、太郎が脳出血により死亡した責任は太郎にあり、一審被告には存在しないが、仮に右主張が認められないとすれば、右事実により過失相殺をすべきである。

第三  当裁判所の判断

一  争点1(太郎の労働の過重性)について

1  各項中に掲記した各証拠及び弁論の全趣旨によれば、太郎の一審被告入社以来の労働時間、労働内容等に関し、次の事実を認めることができる。

(一) 太郎は、昭和三一年一一月一日生まれの男性であり、昭和五四年に大学を卒業した後、一審被告に入社した(当事者間に争いがない)。

(二) 太郎は学生時代は、剣道、水泳、ハイキング、マラソンなどを行うスポーツマンであり、子供のころから健康で、一審被告入社前に大病を患ったり、手術を受けたりしたことはなかった(甲六〇)。

(三) 太郎は、平成二年一月六日、一審原告夏子と婚姻し、その後死亡に至るまで、神奈川県川崎市麻生区岡上〈番地略〉所在の自宅に居住し、両親(一審原告一郎及び一審原告春子)及び祖母並びに一審原告夏子と同居していた。太郎の自宅から新宿区四谷一丁目に所在する一審被告の事務所への通勤経路は、最寄りの小田急線鶴川駅まで一審原告一郎運転の車で送ってもらい、新宿駅で小田急線から地下鉄丸ノ内線に乗り換え、四ツ谷駅で下車し、徒歩で一審被告の事務所に出社するというものであり、所要時間は、電車の待ち時間、乗り換え時間等を考慮せずに単純計算しても約一時間一五分程度(小田急線及び地下鉄の乗車時間は約六五分)かかった(甲六〇)。

(四) 太郎は、一審被告入社後、第三FM部(その後のシステム第三部)に配属され、その後は専らSEとしてコンピューターのシステム開発業務に従事し、昭和五八年五月にはチーフに昇格して、昭和六一年からは東京商工リサーチのシステム開発プロジェクトのプロジェクト・サブリーダーを務めた。太郎の業務内容は、専らSEとしてのソフトウェア開発作業であった(当事者間に争いがない)。

(五) 太郎の一審被告入社以来の年間(一二月一一日から翌年の一二月一〇日まで)総労働時間は、次のとおりであった。なお、総労働時間の中には就労時間(午前九時から午後六時まで)内にとられる一時間の休憩時間、午後七時から午後七時三〇分までの休憩時間、午前二時から午前二時三〇間での休憩時間は含まれていない。また、三〇分を超えない残業時間、午後七時を過ぎない残業時間は労働時間として算入されていない(甲一の2ないし8、二、六一ないし六三、原審証人森田眞平)。

昭和五五年 3088.5時間

昭和五六年 2678.5時間

昭和五七年 三〇六八時間

昭和五八年 2793.5時間

昭和五九年 2719.5時間

昭和六〇年 三〇一一時間

昭和六一年 2776.5時間

昭和六二年 三五七八時間

昭和六三年 2887.5時間

平成元年  二七七八時間

平均    2937.9時間

一審被告の所定内労働時間は年間二〇一六時間である(甲二、原審証人森田眞平)から、右総労働時間を基準にすると、所定外労働時間は、次のとおりであった。このように所定外労働時間が多く、一審被告の従業員の中でもその多さが際だっていたことから、一審被告内でもこれが問題とされたことがあった(乙二四、原審証人朝日芳智)。

昭和五五年 888.5時間

昭和五六年 478.5時間

昭和五七年 八六八時間

昭和五八年 591.5時間

昭和五九年 519.5時間

昭和六〇年 八一一時間

昭和六一年 760.5時間

昭和六二年 一五六二時間

昭和六三年 871.5時間

平成元年  七六二時間

平均    811.3時間(所定内労働時間の40.2パーセント)

(六) なお、一審被告に適用される法定労働時間は平成二年当時まで週四八時間であり(昭和六二年法律第九九号による改正後の労働基準法三二条、一三一条、昭和六二年一二月一一日政令三九七号参照)、一年を三六五日として単純計算すると、法定労働時間は年2502.9時間(三六五÷七×四八)であり、法定外労働時間は、次のとおりであった。

昭和五五年 585.6時間

昭和五六年 175.6時間

昭和五七年 565.1時間

昭和五八年 290.6時間

昭和五九年 216.6時間

昭和六〇年 508.1時間

昭和六一年 273.6時間

昭和六二年 1075.1時間

昭和六三年 384.6時間

平成元年  275.1時間

平均    四三五時間(法定労働時間の17.4パーセント)

(七) 一審被告においては、太郎を含むSEは、原則として上司から時間外労働を命じられるということはなく、自主判断で残業をし、残業時間についても自主申告していた。しかし、一審被告は、労働時間管理にはタイムカードを使用しており、タイムカードに記載された出社及び退社の時刻は正確なものであり、サービス残業が行われていたわけではないが、給与計算上は、午後七時までに退社した場合の同時刻までの時間外労働及び休憩時間(午後七時から三〇分間及び午前二時から三〇分間)は計上せず、また、三〇分未満は切り捨てることになっていた(甲一の1ないし14、乙二四、原審証人朝日芳智、同森田眞平)。

(八) 日債銀は、従来から総合オンラインシステムを運用してきたが、融資にかかる顧客の管理システムを一新するため、新たに①勘定系、②情報系(Ⅰ)、③情報系(Ⅱ)からなるシステムを構築することとし、これを日債銀の子会社であるNCSに一括して請け負わせた。同社は、一審被告との間で、平成元年一月一七日、情報系(Ⅰ)にかかるソフトウェア開発委託を締結した(以下「第一次契約」という。甲四五、乙三の1、二四、原審証人入山弘之、同朝日芳智)。

日債銀の総合オンラインシステム(以下「本件システム」という。)は、①勘定系(リアルタイム業務専用)、②情報系(Ⅰ)(勘定系のレスポンスタイムを早めるため、従来勘定系で行っていた業務の内リアルタイムで行うことを要しないものを行い、また、営業担当者が必要とする情報を集積加工し、情報系(Ⅱ)に渡すもの)、③情報系(Ⅱ)(営業担当者の収積情報を入力するとともに、外部情報を取り込み情報系(Ⅰ)に渡し、情報系(Ⅰ)で集積加工されたデータの帳簿出力及び営業担当者が必要とする情報のデータベース機能を持つもの)に分けられるが、このうち第一次契約において一審被告が請け負ったのは情報系(Ⅰ)の基本設計及びテストであり、テストも含めた納期予定は平成二年三月末日であった(乙三の1、二四、原審証人入山弘之、同朝日芳智)。

そして、その後の開発の進展に伴い、NCSと一審被告は、平成元年五月から六月にかけて、第一次契約の内容を改定し、総作業量七万五八〇〇ステップ、システム設計の納期を平成元年一〇月末日、システムテストを平成元年一一月から平成二年三月とし、その見積りは平成元年八月中に行うことを合意した(乙三の五の1ないし3、原審証人朝日芳智)。

なお、システム設計は、①概要設計(現状を調査・分析し、問題点、改善点を把握し、顧客の開発要求を明確化してこれを「要求定義書」という書面にまとめる段階)、②基本設計(概要設計を具体化するため、新システムの概略的仕様を設計する段階)、③詳細設計(導入予定の器機を前提として基本設計に準拠したシステムを設計するものであり、プログラム仕様書の作成等をする段階)、④プログラミング(プログラム仕様書に基づき、プログラムをコンピューター言語に置き換えていく段階)があり、①ないし③の作業はSEが行い、④の作業は、実際に入力作業を行うのはプログラマーで、SEはスケジュール管理等を行う(甲四五)。

そして、テストは、①プログラミングの中途でプログラマーが行うテスト、②各設計者が担当したプログラム毎に、それを構成するモジュールを結合させて行うテスト(以下「テスト1」といい、「モジュール結合テスト」、「単体テスト」ともいう。)、③情報系(Ⅰ)内部でファイルをグループに分け、グループ毎又はグループ間でファイルのつながりを検証するテスト(以下「テスト2」といい、「プログラム間結合テスト」、「スルーテスト」ともいう。なお、テスト1及びテスト2を合わせて「結合テスト」ということがある。)、④結合テスト終了後、実際に稼働させる環境を用意し、勘定系と結合させて機能を検証するテスト(以下「システムテスト」という。)があり、このうち①はプログラマーが独自に行うものであり、SEが行うものは②ないし④である(甲四五)。

(九) 本件プロジェクトに従事する人員は、開始当初は、総責任者が工藤長成部長(その後朝日芳智課長〔以下「朝日」という。〕に交代)、プロジェクトマネージャーが山口義人(以下「山口」という。)、プロジェクトリーダーが永井、プロジェクトサポートが本多毅(システム経理所属。以下「本多」という。)であり、太郎は、当初は本件プロジェクトには関与していなかった。太郎は、同年三月からプロジェクトサポートとして本件プロジェクトに参加したが、この時期は、日債銀が本件システムに対してどのような機能を盛り込むよう要求するかを知るための会議及び説明会には余り参加していなかった(甲九、三五の1、四五、原審証人入山弘之、同朝日芳智)。

NCS側の本件プロジェクトの担当者である牧秀正次長(以下「牧次長」という。)らは、平成元年一月四日、同年二月中旬ころまでに基本設計を、同年三月末ころまでに詳細設計を行い、同月中旬ころからプログラミングを開始し、同年五月からテストを行うというスケジュール案(甲七)を作成し、また、永井は、同年三月一三日にマスタースケジュール案(甲一〇)を作成した(原審証人入山弘之)。

しかし、日債銀及びNCSからの仕様の要求が固まらなかったことなどから、同月二七日ころには、既に前記マスタースケジュールと比較して、約一か月の遅延が生じていた(甲三五の1、四五、原審証人入山弘之)。

(一〇) 平成元年五月、プロジェクトマネージャーである山口は、永井がSEとしての経験が約三年程度であり、本件プロジェクトのリーダーを務めるにはやや経験不足であると考え、永井に代えて太郎をプロジェクトリーダーとすることにした。なお、永井は、そのまま本件プロジェクトの一員として加わっていた(甲三五の1、四五、四八、原審証人入山弘之)。

プロジェクトリーダーの業務内容は、原則として、プロジェクトマネージャーの指揮を受け、プロジェクトの進捗管理、品質管理、要員管理、発注元である日債銀及びNCS並びに協力会社との連絡調整の窓口などが主であり、実際のシステム設計について担当があるわけではなかった(乙二四)。

システムテストが開始されるまでの期間の太郎の具体的な業務は、各担当者から進捗状況、作業内容、問題点などを聞いて報告書にまとめ、要員の手配等の対策を立てるなどした上で、NCS及び一審被告で行われる進捗会議で報告することが主であり、本件プロジェクト一般について生じる書類作成等の雑用も行っていた。また、本件プロジェクトで使用されたリレーショナルデータベースという特殊なデータベースを使用した経験を有する者は太郎しかいなかったため、他の担当者に対する指揮、説明を行っていた(甲四五、原審証人入山弘之)。

(一一) 同年五月末ころ、山口は、経験が長く労働単価が高い本多が本件プロジェクトにいると人件費がかかるため、同人を本件プロジェクトから外した。

同人は、本件プロジェクトの開始当初から関与しており、経験も豊富なSEであったため、このことも本件プロジェクトの遅延の一因になった。このころ、実際に本件プロジェクトにおいてシステム設計を行うSEは、太郎の他に、永井、五十嵐慶太(以下「五十嵐」という。)、兼井隆明、(以下「兼井」という。以上が一審被告従業員)、入山、小野、山口慎一、早川秀行(以下「早川」という。以上がシステム経理所属)、川名光雄(以下「川名」という。一審被告の協力会社チャネル所属)、宇尾野麻純(以下「宇尾野」という。一審被告の協力会社ゼロプランニング所属)の九名であり、永井及び宇尾野が「TRマスター」、入山、小野、早川、山口慎一及び五十嵐が「DB更新オンライン」、兼井が「申請書つなぎ」、川名が「DB更新バッチ」と称する部分を、それぞれ担当して設計することになった(甲三五の1、2、四五、四六、四八、五一の1ないし5、原審証人入山弘之)。

なお、システム経理は、業務の一部を一括して請負うという形ではなく、SEを派遣するという形で本件プロジェクトに参加していた(甲四五)。

(一二) 一審被告が同年五月三一日付で作成した見積書(乙三の5の3。以下「本件見積書」という。)では、六月一〇日までに詳細設計(プログラム仕様書作成)を、一〇月末までに結合テストを終了させるという内容に変更され、三月一三日付マスタースケジュール(甲一〇)に比べて作業期間が延長されていたが、実際には、ユーザーの要求を把握する作業が長引いたことなどにより、同年四月から五月にかけてはまだ基本設計が行われている状態で、詳細設計は未だ行われておらず、三月一三日付マスタースケジュールに比較してさらに遅延が出ていた(甲四五、原審証人証人入山弘之)。

五月末ころ、NCSの牧次長は、本件プロジェクトの総ステップ数は、情報系(Ⅰ)全体で七万五八〇〇ステップであると説明したが、SEらは、実際の作業と比較し少なすぎるとの印象を持った(甲四五)。

右のスケジュールどおりに作業を進めるためには、SEの数が不足しており、共通ルーチン作成及び極度ファイルについては未だ設計担当者さえ決まっていない状態であったため、入山は、経験豊富なSEがさらに四、五名程度必要であると感じ、同年六月二日ころ、太郎、入山、山口らは打合わせの上、入山が担当者未定の部分には担当者氏名をX、Y、Zと記載したスケジュール案(甲一三の1、2)を作成して、同月五日ころ太郎に渡した(甲四五、原審証人入山弘之)。

(一三) 一審被告は、右の要請を受け、六月一二日に、一審被告従業員の石田晴己(以下「石田」という。)及び協力会社のチャネル所属の井上竜也(以下「井上」という。)を、同月一九日に一審被告従業員である佐藤栄一及び大分電算の佐藤光司及び相良剛志を、七月一日ころ、一審被告従業員である鳥羽正隆(以下「鳥羽」という。)をそれぞれ増員し、このほかにも六月から七月にかけてはプログラミング作業のために十数名のプログラマーを増員するなどしたが、そのころ、兼井は担当を外れた(甲四五、乙二二、原審証人入山弘之)。

しかし、右増員措置により配置された者のうち、石田及び佐藤栄一は、同年四月に一審被告に入社したばかりであって、本格的なシステム開発に携わった経験がなかったため、独りで作業することができず、石田はCIF・代表CIF対応テーブルを、佐藤栄一は案件口座対応テーブルを一応担当することになったが、太郎、五十嵐及び小西秀昌ら他のSEの指導を受けながら作業をしていた。また、応援で増員された者の中には、本件プロジェクトの内容を理解していなかった者もいたため、引継ぎに時間がかかり、作成されたDB項目更新説明書の中には、従前から本件プロジェクトに携わっていたメンバーがチェックしないとNCSに提出できないレベルのものが存在したため、結局、人的補強措置としては必ずしも十分なものではなかった(甲四五、乙二一、二二、原審証人入山弘之)。

その結果、六月段階で立てた進行予定によれば、七月中には詳細設計の九〇パーセント及びプログラミングの七〇パーセントを終了するというものであったにもかかわらず、実際には、七月中には詳細設計の約五〇パーセント、プログラミングの約四〇パーセントが終了したにとどまった(甲一六の2、3、四五)。

入山、小野らSEは、山口に対し、増員措置を採るように強く求めたが、山口は、現状の人員で努力するように応答し、それ以上の増員措置を採らなかったため、入山らは、山口に要求することをあきらめ、専ら太郎に対し増員の要望をするようになった。しかし、太郎は、入山らの要望や意見を聞いたが、太郎には増員に関する決定権限がなかったため、十分な増員措置を採ることができず、SEらの不満が増大した(原審証人入山弘之、同小野善三)。

(一四) NCSの安部一雄調査役(以下「安部調査役」という。)及び牧次長らは、一審被告が本件見積書記載のスケジュールを守っていないことに不満を持ち、作業の進捗程度を厳しく監視するようになり、同年七月上旬には太郎らに対し土曜も出勤して作業をするように要求し、さらに、同年八月九日、太郎及び入山に対し、情報系内部の結合テストを一〇月末までに終わらせ、一一月からシステムテストに入るように強く要求し、自ら太郎らの面前でそのためのスケジュールを作成し、これを太郎らに示した。太郎は、右スケジュールを清書し、牧次長に提出したが、牧次長は、情報系内部のテストを九月中に終わらせ、一〇月からシステムテストに入らなければならないとして、右スケジュールを承認しなかったため、太郎は、さらに予定を早めたスケジュールを作成し、八月一七日に牧次長に提出したが、結局承認は得られなかった。そして、八月中には、詳細設計の約九〇パーセント及びプログラミングの七〇パーセントが終了し、結合テストが開始された。太郎は、従前行っていたプロジェクトリーダーの業務の他に、テスト環境の整備の業務を行うことになり、さらに、担当者のいない部分のテストも行うことになった(甲一四の1ないし3、一五の1ないし3、三五の3、四五、原審証人入山弘之、同小野善三)。

(一五) その後、九月末ころまでに、仕様変更部分を除くプログラミングが終了し、結合テストについても約三〇パーセントが終了したが、本件見積書記載の予定どおり一〇月末までに結合テストを終了することが困難な状況になっていたにもかかわらず、必要なテスト要員の増員措置は採られなかったため、入山らSEは、山口マネージャーや太郎に対しさらに不満を述べた。なお、この時期に至っても、仕様変更の要求が出されていた。仕様変更の結果、ステップ数は約七万五八〇〇ステップから約一一万三八〇〇ステップへと大幅に増加した(甲一六の9、四五、原審証人入山弘之、調査嘱託の結果)。

しかし、結局、必要な増員は行われないまま、一〇月二三日の進捗会議において、結合テストについては、テスト1を完全には終了せず、テスト2はほとんど行わないまま、一一月一三日からシステムテストを行い、これと並行して、残存しているテスト1及びテスト2を行うことが決められた(甲三五の3、四五)。

本件プロジェクトのようなシステム開発においては、通常は、結合テスト(テスト1及びテスト2)を終了してからシステムテストを行うものであり、結合テストをしないと、インターフェイスミス(プログラム間の連動がうまく行かないこと)が発生することがあり、またシステムテストに入った後にトラブルが発生したときに、トラブルの原因を探す範囲が広くなり不都合が生じることがある。入山は、システムが実際に稼働するのか不安を感じて、一一月一〇日、作業進捗月次報告書に、「結合テストが完全に終了しないまま、システムテストに突入するため、たいへんな事になりそうだ」と記載した(甲一六の9、三一の23、四五、原審証人入山弘之)。

(一六) 平成元年一一月一三日、ユーザーである日債銀及びNCSを中心にしてシステムテストが開始され、以後の本件プロジェクトにおける太郎らの業務は、システムテストのサポート業務に中心が移った(乙二四、原審証人朝日芳智)。

システムテストサポート業務の主な内容は、NCS側がシステムテストを行い、何らかのトラブルが発生すると、待機していた一審被告側のSEが原因調査を行い、原因が分かり次第修正を行うものである。トラブルの内容によって解決に要する時間はさまざまであるが、NCSからは、修正に要する期間の要望が出されたり、時には緊急に修正してほしいという場合もあった。なお、トラブルの原因を探す作業は、プログラムソースリストをプリントアウトし、その内容を一行ずつチェックして行くというものであり、場合によってはプリントアウトされた紙が厚さ数センチメートルに及ぶこともあった(甲三一の24、原審証人入山弘之、同小野善三)。

一審被告は、システムテスト開始後、本件プロジェクトに配置していた要員を、順次他のプロジェクトに回すなどして減員し、同年一二月には、システムテストサポート業務を行っていたSEは、太郎、永井、鳥羽、五十嵐、入山、小野、早川、船山泰秀、川名の九名になった(乙六の1、二二、二四)。

しかし、入山らが懸念していたとおり、上位のプログラムと下位のプログラムのインターフェイスミスなどの問題が続発し、平成元年一二月末ころまでは、本件システムはほとんど機能しない状態であった。そのため、一二月一日、牧次長及び安部調査役は、太郎及び小野らに対し、必要なテストを行わなかったためにシステムテストがうまく行かなかったとして、厳しく苦情を述べた。なお、同月中に、本件システムの本稼働の時期を平成二年五月の連休後にすることに変更され、これにともないサポート契約が同月末日まで延長されることとなった(甲一六の12、三一の24、三五の4、四六、乙三の7の1、原審証人入山弘之、同小野善三、調査嘱託の結果)。

(一七) 山口は、平成元年一一月一七日に退職し、その後、それまでシステム第三部第一課長であった朝日が、本件プロジェクトのマネージャーに就任した。しかし、朝日は、他にも多数のプロジェクトマネージャーを兼任していて多忙であり、NCS及び一審被告で開催される進捗会議にも欠席することが多かった。他方、太郎は、本件プロジェクト専任であり、プロジェクトリーダーに就任して以降、進捗会議、打合わせにはほぼ毎回参加していたため、日債銀及びNCSからの要求などは主に太郎に向けられた。また、朝日は、中途から引継いだということもあって、本件プロジェクトの内容を十分に把握していなかったため、太郎は、日債銀及びNCSとの交渉、他のスタッフからの増員要請等への対応、スケジュール作成など、本来ならマネージャーが行うべき業務の相当部分も行わざるを得なかった(甲四五、乙二四、原審証人入山弘之、同小野善三、同朝日芳智)。

(一八) 安部調査役らNCSの担当者は、一月一七日の進捗会議において、太郎らに対し、二月からは土曜日にも日債銀がシステムテストを行うため、システムテストサポートに当たる者は土曜日にも出勤すること、午前九時から午後九時までは全員が、午後九時から午後一一時までは当番が残ることを要求した。そこで、太郎らは、太郎、入山、小野、早川及び永井の五名で当番を組み、対応することになった(なお、鳥羽は、同人が設計した繰上償還ファイル等のトラブルに対応するため、引き続き本件プロジェクトのサポート業務に従事していたが、右当番には加わらなかった。甲三一の25、三五の4、四五、乙六の2、3、原審証人入山弘之)。

太郎らシステムテストサポートを行うSEは、朝、四谷所在の一審被告本社に出社してタイムカードを打刻した後に九段下所在のNCSに行き、ほぼ一日中NCSで作業を行っていた(甲一の1ないし14、四五、原審証人入山弘之)。

NCSのシステムテストは、通常は夜間に行われ、朝方までかかることも多く、日債銀及びNCSは、プロジェクトリーダーが早く帰ることを嫌がっていたため、太郎は、責任上、自らが当番である日はもちろんのこと、当番でない日の午後九時以降も、残ってシステムテストに立ち会い、特に三月中旬から四月中旬にかけては、三月一六日は午前零時一〇分、同月一九日は午前零時、同月二三日は午前三時〇三分、同月二六日は午前三時四五分、同月二八日は午前五時、四月二日は午前四時〇四分まで勤務し、これ以外の日も、早い日で午後八時三〇分から午後九時ころ、遅い日では午後一一時ないし一一時三〇分ころまで勤務した(なお、右のうち、午前三時ないし午前五時にタイムカードが打刻されている日については、太郎が仕事をしていた場所が主に九段下のNCSであることに照らせば、NCSでの作業の終了後、果たして一審被告本社に戻る必要性があったか、不明な点がないでもない。しかし、太郎は、本件プロジェクトのリーダーとして、書類の作成等システムテストサポート以外の業務も持っていたこと、そのころも仕様変更は継続して行われていたことに照らせば、少なくとも、タイムカードが打刻された時間ころまで現実に就労していたものと認めるのが相当であり、他に右認定を覆すに足りる証拠は全くない。甲一の1ないし14、四五、原審証人入山弘之)。

トラブル発生件数は、システムテストが進むにつれて減少するのが通常であるが、本件プロジェクトにおいては、一、二月に、それぞれ約三〇件のトラブルが発生したのに比較し、三月には約五〇件のトラブルが発生し、むしろ増加した(甲四五、原審証人入山弘之、同小野善三)。

右のような中で、入山及び小野は、本件プロジェクトの遅延や、一審被告が十分な要員の手当をしてくれず、引継ぎも不十分であったことなどに不安を感じていたため、一審被告に対し、「日債銀再延長の件」と題する質問状(乙七の1、一頁目)を出し、今後のトラブル対応方針を明らかにするように求めた。

太郎は、これに対し、今後の作業はNCSが主体となり、一審被告はその補助を行うにすぎないことなどを説明した上で、システム経理に対し、今後も引き続き協力してくれるよう要請した。しかし、システム経理は、再延長に応じる条件として、入山及び小野がシステムテストサポート業務を行う範囲を、システム経理側が作成したプログラムに限定し、責任範囲の明確化を求めたため、太郎は、朝日の指示により、太郎個人の名で、システム経理に対し、システム経理の担当者が作成した部分以外については、すべて一審被告がシステムテストサポート業務を行うという趣旨の文書(乙七の1、二頁目以下)を交付した。その結果、システム経理のSEが作成した部分以外のシステムテストサポートは主に太郎が行うことになったが、太郎は、プロジェクトリーダーであって、自らはプログラム設計自体には直接関与していなかったため、他人の設計した、内容を把握していないプログラムについてトラブルの原因を探さざるを得ないことになり、サポート業務は、より困難なものになった(甲四五、乙七の1、2、原審証人入山弘之)。

(一九) 平成二年四月から、早川及び永井が本件プロジェクトから外れることになり、太郎、入山及び小野の三名で当番を組むことになった。そのため、一人当たりの当番日数が増加し、また、入山及び小野は協力会社であるシステム経理の従業員であり、元請である一審被告の従業員は太郎一人となったため、太郎に精神的な負担が集中することになった。太郎は、それまでも土曜日には出勤することが多かったが、四月には、七日(土曜日)、一四日(土曜日)、一五日(日曜日)、二二日(日曜日)、二八日(土曜日)、二九日(日曜日)にそれぞれ出勤し、四月九日から二〇日までは一二日間連続で勤務した。同月における休みの日数は合計四日であった(甲一の12、13、四五、乙二四、原審証人入山弘之)。

なお、四月一九日ころから、宇尾野が、TRマスターファイルについての緊急対応者として、サポート業務に参加したが、当番には加わらなかった(甲四五、乙二四)。

また、仕様変更はシステムテストに入った後も、断続的に発生しており、システムテストに入った後の担当者の減員分については、太郎らが対処せざるを得なかった(甲一六の14、15、三五の5、四五、原審証人入山弘之)。

(二〇) 平成二年五月に入ってからも、太郎は、入山及び小野と三名で当番を組んでシステムテストサポート業務を行い、ゴールデンウイーク中も、五月四日(金曜日)及び五日(土曜日)は出勤して業務を行った。太郎が休みを取ったのは、右連休中の二日間と同月一二日の合計三日に過ぎない。本件システムは、平成二年五月七日から本稼働(カットオーバー)したが、それまでにすべてのテストが完了したわけではなく、テストが完了していない部分については、五月七日以降も、それ以前と同様にシステムテストが続けられていた(甲一の13、14、四五、原審証人入山弘之、同小野善三)。

なお、太郎は、本件プロジェクト終了後は、日本団体生命のプロジェクトに従事することになっていたため、同月一六日から一八日にかけては、日中は日本団体生命の仕事を行い、夕方から本件プロジェクトの作業を行っていた(原審証人朝日芳智)。

(二一) 太郎は、五月一八日(金曜日)、当番日ではなかったため、午後七時ころ退社した。午後八時ないし九時ころ、NCSから、その日の当番であった小野に対し、移管等トレースファイル更新の部分でトラブルが発生した、翌週の月曜日には移管するものがあるのでそれまでに絶対に修復するようにとの指示があり、小野は、太郎の自宅に対し、電話でそのことを伝えた。小野は、その後、自分の担当した貸出取引状況ファイルの部分を中心に、トラブルの原因を探す作業をはじめたが、自分の担当した部分では原因が発見できなかったため、同日午後一一時ころ、再度太郎に電話をし、翌一九日に来るように依頼した(甲一の14、六〇、原審証人小野善三、一審原告一郎)。

(二二) 太郎は、五月一九日午前八時五四分に一審被告に出社した後、九段下のNCSへ行き、NCSの安部調査役らとともに右トラブルの原因を探す作業を行った。小野は、私用のため一九日の昼間は不在であったが、午後五時ころNCSに来て、太郎らとともに作業を行った。太郎は、同日午後八時ないし九時ころまでかかって、永井の担当したTRマスターファイル内にトラブルの原因を発見することができたので、その修正をNCSの永井にまかせ、午後一〇時ころNCSを出て帰宅した(一審被告は、右トラブルの原因は、小野の担当部分である取引状況ファイルに存在したもので、TRマスターファイルにあったものではないと主張し、原審証人朝日芳智はこれに沿う証言をする。しかし、右は、原審証人小野善三の証言に照らし、採用することができない。なお、そもそもトラブルがどの部分に存在しようと、前記認定のとおり太郎が本件プロジェクトのシステムテストサポート業務全体について責任を負うべき立場にあった。甲一の14、甲四五、乙二三、原審証人入山弘之、同小野善三)。

(二三) 五月二〇日午前七時ころ、一審原告春子が太郎を起こしに行くと、太郎はまだ寝ており、「今日は休みなのでゆっくり寝ている」と返答したため、一審原告春子及び一審原告一郎はそれぞれ外出した。太郎は、その後起床し、祖母と昼食を取った後、再び自室に戻って音楽を聴きながら休んでいた。同日午後六時ころ、帰宅した一審原告夏子が様子を見に行ったところ、太郎は大きないびきをかいて寝ているようであった。その後、一審原告夏子が午後七時ころ再度太郎の部屋に入ったところ、太郎は口からコーヒー色の液体を吐いて倒れていた(甲六〇)。

太郎は、直ちに救急車で聖マリアンナ医科大学病院に搬送されたが、同日午後八時三五分ころ同病院に到着したときには、既に心停止、呼吸停止の状態であり、同病院において、脳幹部出血により、同日午後九時二六分に死亡が確認された(甲四、五、六〇)。

(二四) 太郎の死亡前一年間の総労働時間は合計2859.5時間であり、その月別総労働時間は、次のとおりである。なお、平成元年一二月の労働時間は、太郎が一審原告夏子と挙式し、休暇を取ったため、労働時間が少なくなっている(甲一の1ないし14、六〇、六一、六三)。

平成元年 六月 243.5時間

七月 237.5時間

八月 二五四時間

九月 二七二時間

一〇月 二五二時間

一一月 二五一時間

一二月 160.5時間

平成二年 一月 224.5時間

二月 二一三時間

三月 三〇三時間

四月 二八三時間

五月 165.5時間(一九日まで。一か月換算で約二七〇時間)

また、死亡前一週間の太郎の労働時間は、次のとおりである(甲一の14)。

五月一三日(日曜日) 七時間三〇分

一四日(月曜日) 一一時間一七分

一五日(火曜日) 一二時間一八分

一六日(水曜日) 一一時間五七分

一七日(木曜日) 九時間三二分

一八日(金曜日) 九時間一五分

一九日(土曜日) 一一時間三六分

(二五) 太郎は、死亡する数年前から、学生時代に行っていたスポーツを一切せず、死亡する一年位前から、かつて趣味としていたドライブもしなくなり、たまに休む際は、疲れたとか眠いなどとこぼし、外出しないで自宅で音楽を聴くなどして過ごすことが多く、夕食後は早く寝てしまうことが多かった。

2  右1の事実を基に、太郎の労働過重性について検討する。

(一) 太郎の労働時間は、昭和五四年の一審被告入社以来、年間総労働時間が平均して約三〇〇〇時間近くに達するものであり、所定外労働時間は平均しても所定内労働時間の約四〇パーセント強にもなる上、最も多い昭和六二年には年間三五七八時間に達するなど、恒常的に過大であり、一審被告内においてもその多さが問題にされたことがあった。特に、平成二年三月以降死亡に至るまでは、総労働時間が一か月換算で約二七〇時間ないし約三〇〇時間に達していて過大であり、とりわけ、死亡直前一週間の総労働時間が七三時間二五分(週四八時間の法定労働時間の1.53倍、週四〇時間の所定内労働時間の1.84倍)にも達し著しく過大であったというべきである。

さらに、太郎は、神奈川県川崎市麻生区(小田急線鶴川駅)所在の自宅から東京都新宿区四谷一丁目(丸ノ内線四ツ谷駅)所在の一審被告の事務所まで電車の待ち時間や乗り換えの時間を含めないでも片道約一時間一五分かけて通勤していたため、現実には、午後一一時まで勤務した場合、帰宅は午前一時近くなり、翌朝は再び午前七時ころに自宅を出て出勤するため、睡眠時間を五時間程度しか取ることができなかったと推認できる。

(二) 本件プロジェクトは、銀行業務に関するシステムの開発であったところ、SEの仕事を一〇年以上経験し、平成三年一〇月にシステム経理を退社してコンピュータースクールの講師をしている入山にとっても、銀行業務のうち情報系に係わる仕事は内容的に難しいものであり、同様に、富士銀行の外貨預金システム設計・開発に携わった経験のある小野にとっても困難な内容であり、本件プロジェクトの内容は相当高度なものであった。また、平成元年五月ころの予定では、本件プロジェクトは、約七万五八〇〇ステップで完結するとされていたが、実際には一一万三八五四ステップにまで増加した。

本件プロジェクトは、平成元年五月三一日付で作成された見積書(乙三の5の3)に記載された予定では、平成元年一〇月末日までにシステム開発を終了し、同年一一月からはシステムテストを行うというものであり、期間が限られていたため、作業が間に合わず、同年一一月一三日にシステムテストが開始されてはいるものの、本来行うべき結合テストを省略するなどしていたため、その後システムテストの段階で多数のトラブルが生じた。

これに対し、発注者であるNCS及び日債銀の担当者は、太郎らに対し、作業が遅れていることを指摘して、早く作業を完了するよう繰り返し要求し、特に、平成元年八月九日には、安部調査役らが、太郎らに対し、自ら太郎らの面前で今後のスケジュールを作成し、これを示すなど早期の作業完了を求める強硬な姿勢を示した。更に、システムテスト開始後には、NCS及び日債銀からの太郎らに対する要求はさらに厳しくなり、平成元年一二月一日には、必要な結合テストを行わなかったことに対し、厳しく苦情を述べ、平成二年一月一七日には、土曜日にも出勤すること、午前九時から午後九時までは全員が残り、午後九時から午後一一時までは当番が残ってシステムテストサポートを行うことを要求した。特にプロジェクトリーダーである太郎に対しては、NCS及び日債銀の要求は厳しく、太郎は、実際は当番日以外であっても、早く帰ることができないような状況になっていた。

太郎は、平成元年五月にプロジェクトリーダーに就任して以降、死亡に至るまで、本件プロジェクトについて責任を負う立場にあり、ユーザーや下請会社との調整、交渉の中心となっていた。このため、本件プロジェクトのトラブルについて、太郎が、専らユーザー及び下請会社からの苦情の矢面に立ち、いわば板挟みのような状態になることがあった。特に、平成二年三月ころからは、システム経理から派遣されたSEである入山及び小野は、システム経理の従業員が設計した部分のトラブルに対してのみ責任を負い、それ以外はすべて太郎が責任を負うという取り決めがされ、また、システム経理のSEはあくまで一審被告に対し派遣されたものにすぎず、ユーザーに対し最終的な責任を負うものは一審被告であったこと、一審被告の従業員で当番としてシステムテストサポート業務を行っていたのは太郎のみであったこと、その一方で、平成元年一一月以降プロジェクトマネージャーに就任した本来の責任者である朝日は、前任の山口が退職してからその業務を引継いだものであって、それまでの進捗状況を必ずしも把握しておらず、また自らも複数のプロジェクトのマネージャーを兼務して多忙であったため、本件プロジェクトについての業務の多くを太郎にまかせていたことなどから、太郎にかかる精神的負担はさらに増したと推認される。

(三) 以上のとおり、太郎は、一審被告に勤務して以来、恒常的に過大な労働をしてきたが、本件プロジェクトにおいてプロジェクトリーダーに就任してから死亡するまでの約一年間は、時間的に著しく過大な労働を強いられたのみならず、極めて困難な内容の本件プロジェクトの実質的責任者としてスケジュール遵守を求める日債銀及びNCSと、増員や負担軽減を求める協力会社のSEらの、双方からの要求及び苦情の標的となり、いわば板挟みの状態になり、高度の精神的緊張にさらされ、学生時代に行っていたスポーツをしなくなり、死亡する一年くらい前からはドライブにすら行かず疲れたと述べて夕食後早々に寝てしまうような状態になるなど、疲労困憊していたものと認められる。

以上のとおり、太郎の死亡前の業務が著しく過重であったことは明らかである。

(四) 一審被告は、太郎の労働時間は、当時一審被告に適用されていた法定労働時間と比較した場合にはさほど長時間労働ではない旨主張する。しかし、太郎の死亡前一年間の法定外労働時間は、右法定労働時間が週四〇時間に移行する前の週四八時間であるにもかかわらず、これと比較してもその17.4パーセントに該当するものである上、死亡前一週間に限ればその総労働時間は法定労働時間の約1.53倍(所定労働時間の約1.84倍)にも達するものであり、著しく長時間労働をしていたというべきであるから、一審被告の右主張は採用できない。

また、一審被告は、太郎の労働は裁量労働であり、太郎の労働時間が突出して長いことについては太郎が労働時間を調整していたのではないかと疑わざるを得ない旨主張し、原審証人森田眞平及び同朝日芳智はこれに沿う証言をする。その趣旨は必ずしも明確ではないが、仮に、太郎が残業手当を得るために必要もない残業をしたという趣旨であれば、太郎が、そのような意図のもとに残業したという確実な証拠はなく、かえって、前記1で認定したとおり、本件プロジェクトの実施のためには太郎が長時間の残業をしなければならない状況であったことを考慮すると、右原審証人森田眞平及び同朝日芳智の各証言はたやすく信用することができず、一審被告の右主張は採用することができない。

更に、一審被告は、本件プロジェクトは無理なスケジュールではなく、納期も目標ないし予定とされていて厳しい納期が設定されていたわけではないうえ、システムテストに移ってからはNCSのサポート業務をしていたに過ぎないことなどを考慮すると、本件プロジェクトにおける太郎の労働内容は、困難であるとか特段の精神的負担がかかるとかいったものではなかった旨主張する。しかし、本件プロジェクトにかかわった者は、一様に当初決められたマスタースケジュールを意識し、これに間に合わせるよう努力をしていたこと、太郎らは、直接NCSの阿部調査役らから早期に作業を完了するよう求められていたこと、結合テストが十分できないままシステムテストが行われたため、システムテストの段階でトラブルが頻発したことなど前記1で認定した事実に照らせば、太郎の労働が困難かつ精神的負担の重いものであったことは明らかであるから、一審被告の右主張は採用できない。

二  争点2(業務と死亡との因果関係)について

1  太郎の死因について検討する。

太郎は、高血圧症であるところ、その脳出血が発症した部位は、脳幹の橋底部であり、短時間のうちの脳幹部全体に出血が広がり死亡に至ったことが認められること、また、太郎に脳血管奇形があったと認めるに足りる証拠は存在しないこと、高血圧性脳幹部出血は橋底部に好発し、短時間で脳幹部を破壊して死に至ることが多いこと、続発性脳出血の場合、高血圧を有しない若年層に見られ、多くは出血部位が限局性であり症状の進行も緩やかであることなどを考慮すると、太郎の脳出血は、脳血管奇形などによる続発性脳幹部出血ではなく、高血圧により生じた小動脈瘤の破裂による原発性脳幹部出血であると認められる(甲四、五、一八、三六の1ないし9、三七、三八、六六ないし六九、原審証人山田正和)

2  太郎の脳出血の原因となった高血圧と業務の因果関係について検討する。

(一) 高血圧及び脳出血についての医学的知見

(1) 高血圧には、精密検査によっても原因が不明である本態性高血圧と、内蔵疾患等の原因が認められる二次性高血圧があり、その中でも二次性高血圧はその原因ごとに、腎性高血圧、内分泌性高血圧、血管性高血圧等に分類される。高血圧患者の九〇パーセント以上は本態性高血圧であり、比較的二次性高血圧の割合の高いとされる三五歳以下の若年者においても、七〇パーセント以上が本態性高血圧である。

太郎の高血圧の原因として問題となり得る二次性高血圧としては、腎性高血圧の内の腎血管性高血圧及び内分泌性高血圧の内の原発性アルドステロン症がある。

腎血管性高血圧の原因としては、腎動脈粥状硬化症、腎動脈線維筋性異形成、大動脈炎症侯群等がある。その中で太郎について問題となる腎血管性高血圧の原因としては、腎動脈線維筋異形成がある。

腎動脈線維筋異形成は、若年者に多く、若年者について、高血圧の家族歴がないのに高血圧が生じている場合、血管の狭窄を疑わせる所見のある場合等は、腎動脈線維筋異形成が疑われる。腎血管性高血圧、したがって、腎動脈線維筋異形成の場合、最近に高血圧が発症している場合、血圧のレベルが高い場合が多く、腎動脈狭窄にともなう腹部の血管雑音、めまい、手足の脱力などの症状があることが多い。

腎血管性高血圧の発生率は、年齢の上昇とともに低下し、三〇歳を超えると概ね高血圧患者の二パーセント以下の割合になるとの報告がされている(甲一六〇)。また、腎血管性高血圧の内、腎動脈線維筋異形成の占める割合は約二二パーセントである。

原発性アルドステロン症は、全高血圧の内約一パーセントを占め、若年の成人女性に多く、筋力減退、、多飲・多尿、周期性四肢麻痺等の症状があり、尿中にカリウムの排出が見られる。原発性アルドステロン症の場合、血圧の上昇は緩やかである(甲七八、七九、一五一ないし一五五、一五七ないし一六〇、乙一一ないし一三、原審証人山田正和及び同中原健次郎、当審証人多川齋)。

(2) 本態性高血圧の発症の原因は、遺伝因子、脳・中枢神経系因子など複数の因子が関与していると考えられている。

精神的緊張が本態性高血圧の発症及び増悪に影響があるかどうかについては、高血圧に対し悪影響を与える因子は、前記の他にも、過剰食塩摂取、高コレステロール、肥満、アルコールの摂取、喫煙などが存在し、精神的緊張の因子だけを取り出して高血圧との関係の有無を調査することが困難であることなどから、必ずしも定説はない。しかし、持続的な精神的緊張にさらされる職種の労働者は、そうでない労働者に比較して、高血圧に罹患しやすいという多数の調査結果が存在しているところであり、反対説もあるが、精神的緊張は、一時的な血圧の上昇につながるのみならず、不可逆的な高血圧の発症及び増悪に対しても悪影響を与えるという考え方が、医学的には有力となっており、高血圧の予防及び治療の方法として、精神的緊張の多い生活を避けることがあげられている。持続的な精神的緊張は、基礎疾患たる本態的高血圧症を増悪させると認められる。

さらに、高血圧患者は、血圧正常者に比較し、心理的ストレス負荷に対して有意に昇圧反応を示し、ますます血圧が上昇して脳出血の引き金になると認められる(甲二〇ないし二八、六六、六九、一〇二、一二三ないし一三四、一三六ないし一三九、乙一一、一三、二六、五〇ないし六一、原審証人山田正和及び原審証人中原健次郎)。

(3) 高血圧の合併症としては、脳出血、心筋梗塞、腎疾患などがある。

脳出血の発症原因としては、高血圧によるもの、脳血管奇形によるものなどがあるが、その中でも高血圧により脳内血管の末梢部の血管壁に壊死がおこり小動脈瘤を形成し、ひいては小動脈瘤が破裂して出血することによって発症する高血圧性脳出血の占める割合が最も多いとされ、高血圧性脳出血の好発部位は、被殻、視床、小脳、橋などである。

また、脳幹部(延髄、間脳、中枢及び橋)に生じる脳幹部出血のうち、高血圧性脳幹部出血(原発性脳幹部出血ともいう。)は、発生部位が原則的に橋底部であり、短時間の内に脳幹部を広範に破壊する重篤なものが多いため、死亡に至ることが多く、そうでない場合にも予後は不良であるが、脳血管奇形などによる続発性脳幹部出血は、発生部位は橋背側の上衣下であることが多く、出血は緩慢かつ限局的であることが多い。

高血圧にさらされ続けると、臓器に影響が出て、心臓に関していえば心拡大が生じる(甲一七ないし一九、六四、六八、六九、一四九、一五〇、原審証人山田正和、当審証人多川齋)。

(4) どの程度の高血圧から医療の必要が発生するかという点については、必ずしも定説はなく、とりわけ拡張期血圧(最低血圧)が九五ないし一〇四の軽症高血圧について治療の必要があるか否かについては医学的に議論がされている。しかし、拡張期血圧(最低血圧)が一〇五以上の高血圧の場合は、治療の必要があり、治療しない場合には脳出血等の合併症を発症する可能性があるというのが医学的定説である。(乙一三・六三頁以降)。

(二) 右(一)の医学的知見を基礎に、太郎の脳出血及び死亡が、一審被告における業務により生じたものであるか否かの点について検討する。

(1) 各項中に掲記した各証拠及び弁論の全趣旨によれば、太郎の高血圧等に関し次の事実を認めることができる。

① 太郎は、死亡に至るまで喫煙の習慣はなく、飲酒については、週一、二回、ビール約一本を飲む程度であった(甲六〇、九八、一四七、一審原告一郎)。

太郎の身長は約一六五センチメートルであり、体重は、昭和五四年には58.5キログラム、平成元年二月一五日には66.5キログラム、平成二年五月二〇日の死亡時には63.75キログラムであった(甲三の1、2、五)。

② 太郎には、父(一審原告一郎、昭和五年七月一八日生)、母(一審原告春子、昭和九年一月二日生)、兄(昭和二九年八月九日生)、弟(昭和三五年三月一〇日生)がいるが、いずれも健在であり、一審原告春子の兄(太郎の伯父)がやや血圧が高いほかは、高血圧、循環器疾患、脳疾患に罹患したものはいない(甲六〇)。

③ 一審被告は、一審被告の産業医である赤坂診療所の中原健次郎医師に委託して、従業員の定期健康診断を行っていた(原審証人森田眞平、同中原健次郎)。

太郎は、一審被告に入社した年である昭和五四年一二月七日(当時二三歳)の定期健康診断では、血圧が収縮期血圧(最高血圧)が一四〇、拡張期血圧(最低血圧)が九二(単位はいずれもmm/Hg。以下、単に「一四〇/九二」などと表記する。)であり、軽度の境界域高血圧であった(WHOの定義では、①収縮期血圧一六〇以上、拡張期血圧九五以上のいずれか一方又は両者を満たすものを高血圧、②収縮期血圧一四〇未満かつ拡張期血圧九〇未満を正常血圧、③収縮期血圧一四〇以上一六〇未満、拡張期血圧九〇以上九五未満のいずれか一方又は両者を満たすものを境界域高血圧としている。甲三の1、七〇、乙一三)。

その後、定期健康診断における同人の血圧等については、次のとおり記載されており、昭和五八年ころからは、毎年収縮期血圧が一六〇、拡張期血圧が九五を超えるようになり、さらには心胸比(心臓の胸郭に対する比率)が五〇以上になり、心拡張(高血圧により心臓が肥大すること)の症状が見られるようになった。

昭和五五年一二月八日 一四六/一〇四

昭和五六年一二月二一日 一三六/九二

昭和五七年一一月二九日 一五二/一〇〇

昭和五八年一二月一三日

一六八/一〇四 心胸比51.4(心拡張)

昭和五九年一二月二五日

一七四/一一六 心胸比51.4(同右)

昭和六一年一月一七日

一七六/一二二 心胸比53.9(同右)

昭和六一年一一月一〇日

一七四/一二四 心胸比53.5(同右)

平成元年二月一五日

一七六/一一二 心胸比55.6(同右)

(昭和六二年度は受診せず。)

(2) 右(1)のとおり、太郎は、一審被告入社直後の昭和五四年一二月(当時二三歳)の時点で、既に境界域高血圧(一四〇/九二)であり、約一〇年間で収縮期血圧が三六、拡張期血圧が八上昇したことを考慮すると、腎動脈線維筋異形成を原因とする高血圧であった可能性がないではない。しかし、太郎については、特段、右以外に腎血管の狭窄を積極的に疑わせる証拠はなく、親族に高血圧の者がいないわけではなく、血管性高血圧の場合に認められる腹部の血管雑音や、めまい、手足の脱力などの症状が存在したことも認められない。また、そもそも腎動脈線維筋異形成を原因とする高血圧が全体の高血圧に占める割合は、若年者に限定しても低いことを合わせ考慮すると、学問的に、太郎の高血圧が腎動脈線維筋異形成によるものであるとの可能性を全く排除できるか否かはともかくとして、その可能性は極めて低いといわざるを得ない。次に、原発性アルドステロン症による高血圧の可能性については、これが若年の成人女子に多いこと、太郎には筋力減退、周期性四肢麻痺等の原発性アルドステロン症に見られる症状がなく、血圧の上昇も急激であることを考慮すると、その可能性は否定されるというべきである。

ところで、右のような太郎の血圧の急激な上昇経過に照らせば、加齢等の自然的増悪原因が存在することを考慮しても、なお自然的経過を超えて高血圧を増悪させる要因が存在したことは明らかであるというべきところ、昭和五四年以降、太郎は、前記認定のとおり、年間総労働時間が平成約三〇〇〇時間近くの恒常的な長時間労働をしていたこと、右長時間労働に合わせるように太郎の血圧が年々上昇していったことを考慮すると、太郎の高血圧は、右長時間労働に基づくストレス等を原因として上昇した本態的高血圧であると認定するのが相当である。右のとおり、学問的に腎動脈線維筋異形成による高血圧の可能性を全く否定できるわけではないが、その可能性は極めて低く、太郎の高血圧が、右長時間労働に基づくストレス等を原因とする本態性高血圧であると認定する妨げになるものではない。また、一審被告は、太郎が精密検査を受けていない以上、太郎の高血圧が腎動脈線維筋異形成によるものであることを否定することができない旨主張するが、前記認定の太郎の血圧上昇の過程、労働実態、太郎の症状を考慮すれば、精密検査を受けていなくとも、太郎の高血圧が腎動脈線維筋異形成による可能性は極めて低いというべきである。

(3) 本件プロジェクトにおける太郎の業務は、困難かつ高度の精神的な緊張を伴う過重なものであったこと、高血圧患者は血圧正常者に比較して精神的緊張等心理的ストレス負荷によって血圧が上昇しやすいこと、しかるところ、太郎の基礎疾患たる本態性高血圧は、昭和五四年以降の長時間労働により、自然的経過を超えて急速に増悪していたところ、これに加えて、平成元年三月以降の本件プロジェクトに関する高度の精神的緊張を伴う過重な業務により、さらに前記高血圧が増悪していたこと、死亡する直前の平成二年三月ないし五月の労働時間が一か月換算で約二七〇ないし約三〇〇時間と過大であり、特に、死亡直前一週間の労働時間が七三時間二五分(週四八時間の法定労働時間の1.53倍、週四〇時間の所定内労働時間の1.84倍)と著しく過大であったこと、したがって、太郎は、当時、長時間労働の影響で疲労困憊していたこと、太郎は、死亡前日において、休日であるにもかかわらず、NCSに呼び出され、午前九時前に一審被告に出社した後NCSに赴き、同社の阿部調査役らとともに、自分の担当していなかった部分について、午後八時ないし九時頃までトラブルの原因を調査し、ようやくその原因を突き止めたことなどの事実を考慮すると、太郎は、これらの要因が相対的に有力な原因となって、脳出血発症に至ったものであると解するのが自然であり、太郎の業務と脳出血発症との間には、相当因果関係があると認められる。

一審被告は、太郎のアルコール飲酒がその高血圧の発症に深く影響している旨主張する。しかし、多量飲酒者に高血圧が有意に多いことは認められるものの(乙五八ないし六一)、太郎が、高血圧を発症・増悪させるほどの継続的かつ多量に飲酒をしていたと認めるに足りる証拠は存在しない。一審被告の提出する乙第六四号証は、甲第六〇号証、第一四七、原審における一審原告一郎尋問の結果に照らすと、それのみで、太郎が継続的かつ多量に飲酒していたと認めることはできず、他に、これを認めるに足りる証拠は存在しない。

また、一審被告は、労働省労働基準局長通達(平成七年基発第三八号)に定める疾病の認定要件をもって業務起因性を判断すべきである旨主張するが、業務起因性の認定は、証拠により認定した事実をもって業務と疾病との間に相当因果関係があるか否かを判断するものであるから、必ずしも、右通達に定める認定要件に当たらないからといって、相当因果関係が認められないというものではない。右認定要件は、行政機関において労災ないし公務災害の認定をする際の認定基準にすぎず、右認定要件が認められないことの一事をもって業務と疾病との間に相当因果関係がないと断定することはできない。一審被告の右主張は採用できない。

三  争点3(安全配慮義務違反の有無)について

1 一審被告は、太郎との間の雇用契約上の信義則に基づいて、使用者として労働者の生命、身体及び健康を危険から保護するように配慮すべき義務(安全配慮義務)を負い、その具体的内容としては、労働時間、休憩時間、休日、休憩場所等について適正な労働条件を確保し、さらに、健康診断を実施した上、労働者の年齢、健康状態等に応じて従事する作業時間及び内容の軽減、就労場所の変更等適切な措置を採るべき義務を負うというべきである。

そして、高血圧患者は、脳出血などの致命的な合併症を発症する可能性が相当程度高いこと、持続的な困難かつ精神的緊張を伴う過重な業務は高血圧の発症及び増悪に影響を与えるものであることからすれば、使用者は、労働者が高血圧に罹患し、その結果致命的な合併症を生じる危険があるときには、当該労働者に対し、高血圧を増悪させ致命的な合併症が生じることがないように、持続的な精神的緊張を伴う過重な業務に就かせないようにするとか、業務を軽減するなどの配慮をするべき義務があるというべきである。

そして、一審被告は、太郎が入社直後から高血圧に罹患しており、昭和五八年ころからは心拡張も伴い高血圧は相当程度増悪していたことを、定期健康診断の結果により認識していたものである。

そうであるとすれば、一審被告は、具体的な法規の有無にかかわらず、使用者として、太郎の高血圧をさらに増悪させ、脳出血等の致命的な合併症に至らせる可能性のある精神的緊張を伴う過重な業務に就かせないようにするとか、業務を軽減するなどの配慮をする義務を負うというべきである。一審被告は、「自己責任の原則」を主張するところ、確かに、労働者が自身の健康を自分で管理し、必要であれば自ら医師の診断治療を受けるなどすべきことは当然であるが、使用者としては、右のように労働者の健康管理をすべて労働者自身に任せ切りにするのではなく、雇用契約上の信義則に基づいて、労働者の健康管理のため前記のような義務を負うというべきである。

しかるに、一審被告は、定期健康診断の結果を太郎に知らせ、精密検査を受けるよう述べるのみで、太郎の業務を軽減する措置を採らなかったばかりか、かえって、前記認定のとおり、太郎を昭和六二年には年間労働時間が三五〇〇時間を超える恒常的な過重業務に就かせ、さらに、平成元年五月に本件プロジェクトのプロジェクトリーダーの職務に就かせた後は、要員の不足等により、太郎が長時間の残業をせざるを得ず、またユーザーからスケジュールどおりに作業を完成させるよう厳しく要求される一方で協力会社のSEからも増員の要求を受けるなど、太郎に精神的に過大な負担がかかっていることを認識していたか、あるいは少なくとも認識できる状況にあるにもかかわらず、特段の負担軽減措置を採ることなく、過重な業務を行わせ続けた。

その結果、前記のとおり、太郎の有する基礎疾患と相まって、同人の高血圧を増悪させ、ひいては高血圧性脳出血の発症に至らせたものであるから、一審被告は、前記安全配慮義務に違反したものであるというべきであり、これにより発生した損害について、民法四一五条に基づき損害賠償責任を免れない。

2(一) 一審被告は、労働者が高血圧であるからといって、労働者の申出の有無に関係なく直ちに配置転換などの業務軽減措置を採ることは、必要以上に高血圧患者から就労の途を奪うことになり相当ではないから、労働者から業務軽減の申出があった場合に、精密検査結果や医師の意見を踏まえて、はじめて配置転換等の業務軽減措置を採るべきであるところ、太郎は精密検査を受けておらず、また、業務軽減の申出もしていないのであるから、一審被告に業務軽減措置を採るべき義務が生じることはないと主張する。

確かに、労働者の中に高血圧患者が相当な割合で存在していることからすれば、使用者は、すべての高血圧の労働者について、その症状の軽重や、本人の申出の有無、医師の指示の有無にかかわらず、一律に就労制限を行い、他の健康な労働者に比較して就労内容及び時間を軽減すべき義務を負うとまでいうことはできない。

しかし、高血圧は、前記認定のとおり、致命的な疾病である脳出血の最大の原因であり、他にも心筋梗塞や腎疾患などの重篤な合併症の原因になるものであることに照らすならば、少なくとも、使用者は、高血圧が要治療状態に至っていることが明らかな労働者については、高血圧に基づく脳出血などの致命的な合併症が発生する蓋然性が高いことを考慮し、健康な労働者よりも就労内容及び時間が過重であり、かつ、高血圧を増悪させ、脳出血等の致命的な合併症を発症させる可能性のあるような精神的及び肉体的負担を伴う業務に就かせてはならない義務を負うというべきであり、このことは労働者から業務軽減の申出がされていないことによっても、何ら左右されるものではないというべきである。また、本件においては、医師による業務軽減措置の指示がされていないが、使用者が選任した産業医が使用者に対して業務軽減の指示をしなかったという点も、一審被告の前記業務軽減措置を採るべき義務の有無に消長を来たすことはないというべきである。

そして、本件において、太郎は精密検査を受けていないが、定期健康診断の結果に照らせば、遅くとも昭和六一年ころには、最高血圧が一七〇、最低血圧が一二〇を超え、かつ、心拡張の症状も現われており、要治療の状態にあったことは明らかである(一審被告は、定期健康診断はスクリーニングをするに過ぎないものである旨主張するが、右のような太郎の容態にかんがみれば、精密検査を受けていないからといって、太郎が要治療の状態にあることを認識し得なかったということはできないから、一審被告の右主張は理由がない。)。

そうであるとすれば、そのころまでには、一審被告は、太郎に対し、高血圧を増悪させないように、少なくとも健康人より過重な業務を行わせてはならない義務を負うに至ったことは明らかであるから、一審被告の右主張は到底採用することができない。

(二) また、一審被告は、太郎の業務はいわゆる裁量労働であり時間外労働につき業務命令がなかったことを理由に、一審被告に安全配慮義務違反はないとも主張する。しかし、前記認定のように、取引先から作業の完了が急がされている本件プロジェクトのリーダーとして、太郎を業務に就かせている以上、仮に太郎の業務がいわゆる裁量労働であったことをもって、一審被告の安全配慮義務違反がないとすることはできない。

(三) さらに、一審被告は、太郎の脳出血発症及び死亡という結果の発生につき、予見可能性がなかったと主張する。しかし、前記認定のとおりの高血圧についての医学的な一般的知見に照らして、使用者は、労働者が高血圧であること及び過重な労働をしていることを認識し得るならば、脳出血が発症し死亡という結果を招来することについて予見は可能であったと解すべきところ、一審被告は、太郎が高血圧であること及び同人の労働の内容、程度を認識していたのであるから、一審被告は、太郎の脳出血による死亡を予見することができたというべきであり、この点についての一審被告の主張は採用できない。

四  争点4(損害額)について

1  逸失利益

三三五四万二五三八円

太郎は、死亡前は年額六〇七万六七五二円の給与を得ているが(甲九八)、これは、太郎が長期にわたり過重な所定外労働をしていた結果得られた収入であり、太郎の健康状態や業務内容等に照らすと右のような過重な所定外労働を太郎が今後も継続し、右労働に基づく収入を得られると認めることはできない。そこで、太郎の逸失利益を算定するについては、賃金サンセス平成二年第一巻第一表の男子大学卒業者三〇歳ないし三五歳の年間給与額四一四万三一〇〇円を基礎とするのが相当であると認める。太郎は、本件で死亡しなければ、六七歳になるまでの三四年間、少なくとも右と同額の収入を得ることができたと推認されるから、生活費控除を一審原告らの主張の範囲内である五〇パーセント(一審原告夏子は共働きであるから被扶養者に当たらない。)として、ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益の現価を計算すると、三三五四万二五三八円となる(414万3100円×〔1―0.5〕×16.1920=3354万2538円。一円未満四捨五入)。

2  慰謝料 二四〇〇万円

太郎の年齢、一審原告夏子と結婚した直後に死亡したことなど、本件にあらわれた諸般の事情を総合的に考慮すると、太郎の死亡慰謝料としては、右金額が相当である。

3  葬儀費用 一二〇万円

本件と相当因果関係が認められる太郎の葬儀費用は、一二〇万円と認めることができる。

4  過失相殺及び素因減額

五〇パーセント

太郎は、健康診断を受診しなかった昭和六二年度を除く毎年、一審被告から健康診断結果の通知を受けており、自らが高血圧であって治療が必要な状態であることを知っていた上、一審被告から精密検査を受けるよう指示されていたにもかかわらず、全く精密検査を受診したり、あるいは医師の治療を受けることをしなかったこと(一審被告における太郎の業務は極めて過重であったと認められるが、数年間にわたって病院に行くための一日ないし半日の休暇すら取ることができない程多忙であったとまではいえない。)が認められ、自らの健康の保持について、何ら配慮を行っていない。

また、太郎は、一審被告に入社した直後である昭和五四年一二月ころには、既に最高血圧一四〇、最低血圧九二の境界域高血圧であったのであり、このような太郎自身の基礎的要因も、その後の血圧上昇に対し何らかの影響を与えていたと解することが相当であるから、太郎の血圧の上昇から脳出血発症についての全責任を一審被告に負わせることは衡平を欠き、相当ではない。

右事情を総合的に考慮すれば、本件において一審被告に賠償を命ずべき金額は、民法四一八条を類推適用して、右認定の損害額のうち、その五〇パーセントを減ずることが相当であるというべきである。

なお、一審被告は、太郎の肥満、飲酒等を過失相殺の判断に当たって考慮すべきと主張するが、太郎が特に肥満であったこと、太郎が高血圧を発症・増悪させるほど継続的かつ多量に飲酒をしたことは、いずれも認めることができない。

したがって、過失相殺後の損害は二九三七万一二六九円となる(〔3354万2538円+2400万円+120万円=5874万2538円〕×〔1―0.5〕=2937万1269円)。

5  てん補 〇円

一審原告らに対しては、退職金九五万八四〇〇円、日本団体生命死亡保険金五〇万円、東京都情報処理産業健康保険組合埋葬料等六四万円、平成二年度夏季賞与四〇万〇七〇〇円、昇給差額(平成二年四、五月分)九万六〇九六円、旅行積立金返戻二万九〇〇〇円及び平成二年六月分給与四一万八七五六円の合計三〇四万二九五二円がそれぞれ支払われたことが認められるが(乙四四)、いずれも損害のてん補としての性質を有するとは認められない(日本団体生命死亡保険金五〇万円が給付された趣旨は必ずしも明確でないが、太郎の死亡退職金の上積みあるいは遺族に対する弔慰金として支払われたものと推認され、これを本訴請求の損害額から控除すべきではない。)。

6  小計 二九三七万一二六九円

そうすると、本件において、一審被告が賠償すべき損害額は二九三七万一二六九円となるところ、本件損害賠償債権を、一審原告夏子が三分の二、一審原告一郎及び一審原告春子が各六分の一の割合でそれぞれ相続したことは弁論の全趣旨により認められるから、一審被告は一審原告夏子に対し一九五八万〇八四六円、一審原告一郎及び一審原告春子に対し各四八九万五二一二円(一円未満切捨)の損害賠償義務をそれぞれ負担することになる。

7  弁護士費用

本件訴訟の内容、難易度、審理経過及び認容額等に照らすと、一審原告らの本件訴訟追行に要した弁護士費用のうち、一審原告夏子については二〇〇万円が、一審原告一郎及び春子については各五〇万円が、それぞれ一審被告の債務不履行と相当因果関係のある損害と認められる。

第四  結語

以上の次第であるから、一審原告らの一審被告に対する請求は、一審原告夏子については二一五八万〇八四六円、一審原告一郎及び一審原告春子については各五三九万五二一二円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である平成三年三月一二日から各支払済みまでいずれも民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。

よって、右と結論を異にする原判決は一部不当であるから、一審被告の控訴に基づき、原判決を右のとおり変更し、一審原告らの控訴は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条二項、六一条、六四条、六五条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官小林正 裁判官萩原秀紀)

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